秋の夜長は楽しい読書 —探美小説— E. A. ポオ

a0095010_22132037.jpg私の部屋の机(折り畳み式)です。夜、寝る前の2、3時間をここで過ごしています。(机の右隣のeMacで作業をしています)
本当はこんなに片づいていません。いつも読みかけの本が山積みです。


 秋の夜長を楽しむ季節ですね。
 さて、創作物が気持ちに追いつかないので、今回は「私を構成するもの」をご紹介します。いつもは、自信をもってお勧めしているくせに、こればかりはご紹介するのみです。お勧めは、しません。今の私を構成する要素になっている作品ですが、この部分のみを強調するととんでもない嗜好の持ち主に思われそうで怖いです。ちょっとダークなので、ご注意ください。

a0095010_21322361.jpg「本落ち」賞
 一枚の木の葉、あるいは一片の羽毛の落ちる音でも聴きとることができたであろう。その静けさを破ったのは、低い、だが耳ざわりな、間ののびたきしるような音で、それは部屋の隅々から同時に聞こえてくるように思われた。
「なに—なに—何だって貴様は、そんな音を立てるのだ?」と王はたけだけしく侏儒(こびと)のほうを向いて詰った。
春秋社 ポオ小説全集 第4巻 探美小説より 『ちんば蛙』P.254

 草間先生の『災厄のてびき』をご紹介したときに、この「本落ち」賞を捧げましたが、最初に「本落ち」したのがこの『ちんば蛙』でした。
 初めてE. A. ポオの小説を読んだのは小学生の時です。児童文庫として海外の著名な推理小説家を集めた全集があり、その中に当然ポオの名前がありました。黄金虫、モルグ街の殺人、黒猫、早すぎた埋葬、そしてこの『ちんば蛙』です。
 今はこの題名ではなく『とび蛙』になっていると思います。ご不快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私が読んだときの題名のままご紹介させていただきます。予めご了承ください。
 この話が数あるポオの小説の中で特に好きだという訳ではありません。ただ、読みながらぞわぞわと寒気がして本を放り投げた、初めてのお話だから忘れられないのです。

 物語は、ヨーロッパの宮廷で職業的な道化師がいたころのこと—




 冗談好きの王様はご自慢の侏儒(こびと)を二人所有していました。この当時道化師とともに侏儒は宮廷にはつきものでした。多くの君主は彼らの存在がなければ、どこよりも日が長い宮廷の日々をどう過ごすべきか分からないほどでした。
 侏儒の片割れの男は足が悪く(跳ぶのと、のたうつのとのあいだのような歩きぶりでかろうじて動くことができた)、「ちんば蛙」と呼ばれていました。しかし、その欠点を補う異常な腕力で物によじ登る場合は離れ業を演ずることができました。そしてもう片方はトリペッタという若く美しい娘で、非常に均整のとれた身体をした踊りの名手でした。どこか遠い国から力ずくで献上品として王のもとへ送られたため、同じ境遇の二人は親愛の情で結ばれ、支え合って日々を過ごしていました。
 ある大きなお祭りのために仮装舞踏会が開かれることになりましたが、王と七人の大臣たちはなかなか仮装が決まりません。そこで何かよいアイデアはないかと二人を呼び寄せたのですが、機嫌の悪い王様は酒の嫌いな「ちんば蛙」に無理強いをして困らせます(王にとってはただの悪戯)。見かねて間に入ったトリペッタにも狼藉を加え、とうとう「ちんば蛙」はキレてしまいます。

 上記抜粋部分は、彼が怒りを堪えて歯を食いしばったために出た「歯軋り」です。
 この後、「ちんば蛙」の壮絶な復讐劇が始まるのですが、その復讐を開始する合図のように、もう一度この歯軋りが鳴り響くのです。その場面で私は「本落ち」したんです。小学生の頭ではこの光景が怖かったんですね。鮮やかで、大層残酷な復讐でした。
 小学生の読む本に、この物語はいかがなものかと思うのですが、この一話で私の中にポオという作家は不動の存在となった訳ですから、この本の編集者に感謝しなくてはいけないでしょう。(『アッシャア家の没落(春秋社刊でのタイトル)』が一番好きですが、これこそ小学生の本には入れられませんわね)
 やっぱり、推理小説の『黄金虫』や『モルグ街の殺人』の方が面白いとは思います。でも私にとってのポオは、やっぱりこっちの世界なんですね。


a0095010_2240917.jpg【余 録】
 この作品は映画になっています。
 ジュリー・テイモアという女性監督によって撮られた『フールズ・ファイヤ』(1992)という作品です。
 「ちんば蛙」を演じたのはマイケル・J・アンダーソン。この方、あの『ツイン・ピークス』で小人を演じた人です。無言でツイストを踊る、あの人ですよ〜。
 『ツイン・ピークス』は当時、夢中で見ていましたが、最後は尻切れでしたね…。
 こういう訳の分からん話、好きなんですよ。今でもチェリー・パイを見るとカイル・マクラクラン演じるクーパー捜査官を思い出します。デヴィッド・リンチ監督はこの方がお気に入りなのか『マルホランド・ドライブ』にも出演しているようです(未鑑賞)。他には『スノーホワイト』。何の役かお分かりですよね。
 『フールズ・ファイヤ』は原作に忠実に作られていますが、俳優と人形を組み合わせた構成でした。主人公とそれに関わる小人は俳優が演じていますが、それ以外は着ぐるみのような肉感的な人形たちです。王以下七人の大臣は、外面的にも内面的にも非常に嫌悪感を抱かせるタイプなので、人形の方が良かったのだろうと思います。
 映像は独特の感性に貫かれていて、この映画も好きですが、う〜ん、お勧めはしないかな(笑)。
 私はこの人間と人形の演出というのが好きで、同時期に『フィリップ・ジャンティ・カンパニー』のお芝居に夢中になりました。台詞は一切出てきません。幻想的な舞台装置と人間の身体の動きそして人形だけで、物語は進行し、いつしか夢の世界へ引きずり込まれてしまいます。こちらは是非、機会があればご覧になってください。一見の価値ありです。(最新作は『世界の涯て—Lands End』です)
 ジュリー・テイモア監督は、この後『タイタス(原作:シェイクスピア『タイタス・アンドロニカス』)』(1999)、続けて『フリーダ(画家フリーダ・カーロの話)』(2002)を撮っています。『ライオン キング』の舞台美術でも演出賞を受賞していますね。多彩な方です。
 作品の経緯を見るとジュリー・テイモア監督の指向が分かるような気がします。(『フリーダ』は監督だけなので少し違いますが)人間の本能に潜む残虐性とか疎かさとかを引っ張り出すような話が多いです。そういう部分も含めて人間なんだということでしょうか…。根っこのことろに私と同じ感覚のある人だなと、勝手に親近感を覚えました。

 もしもこの『ちんば蛙』に興味を持たれた、読んで見たいとお思いでしたら、比較的新しい時期に翻訳されたポオの全集から探された方がいいと思います。『とび蛙』と表記されているものです。
 私は自分が最初に読んだ表記の本が欲しかったので、この春秋社のポオ小説全集を購入しましたが、何しろ初版が1963年ですし、訳者(春秋社の訳者は谷崎精二氏・谷崎潤一郎の弟で小説家)によって文体も随分変わりますから、新しい方が読みやすいと思いますよ。
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Commented by すずめ at 2007-12-24 19:25 x
こんにちは。お久しぶりです。
フィリップジャンティカンパニーの名前をみつけてつい反応してしまいました。
話には聞いていたんですが、この間初めて見たんですよ!「世界の涯て」。きれいで、おもしろかったです。アイデアが本当にすごいですよね…。フィリップ・ジャンティは文楽の人形遣いに弟子入りしてたとパンフレットに書いてありました。
言葉のないイメージの世界でちょっと翻弄されてしまうのですが、いいもの見たなあ~と感じました。
こんな遅いレスですみません(汗)
Commented by apodeco at 2007-12-25 17:00
こんにちは、すずめさん。いらっしゃいませ~。
おお! フィリップジャンティカンパニーご覧になりましたか。
いいですよね~幻想的で。もう、大好きなんですよ、あの世界。
お人形が素敵でしょう。言葉がないのが、私は想像力を刺激されて、勝手な解釈で楽しんでいました。と言っても最近はご無沙汰しているのですが。
私が観たのは初期の頃の作品なので、今はあの世界がどれだけ進化しているのか分かりません。やっぱりたまには「生」で観ないといけないですよね。

ブログの形をとってますけど、日にちとか関係ないので、過去ログ(この言い方自体が「賞味期限切れ」みたいで嫌なんですが)でも、気になることや、おしゃべりしたい事を書いていただけたら嬉しいです~。
by apodeco | 2007-10-20 22:52 | よろず感想文 | Comments(2)