紫雲、棚引けば—庚申塚高校物語— 挿話(薫)

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久しぶりに、イラストとお話をセットで。でも、イラストはスケッチ状態です。
気力が衰えていまして、嫌だな〜と思いながら描いているので、仕上げられませんでした。ちょっと色を付けて誤魔化しています。
描く度に顔が違いますが、一応『佐々木則行』です。憂鬱な授業中というイメージで、心ここにあらず、な雰囲気です。
11月も不定期更新で進行させて頂きます。やるぞ〜と宣言した事もなかなか出来ない状態です。まあ、そのうちに…。気長にお付き合いください。
もうすぐ今年も終わりですね〜。早いですね〜。また一つ、年をとっちまいます。

お話は、飯島薫の呟きです。
二人の話が棚上げ状態なので、書いてみました。特に進展する訳ではありませんが…。
結構長くなってしまいましたので、いつものようにお暇なときにお読みください。
では、↓よりどうぞ。
※この物語はフィクションです。実在の人物・事件・団体等、一切関係ありません。





[たわいない話(上) 薫side]

 三時間目が自習になった。佐々木はすぐに図書室へ行く。
 本当は教室から出てはいけないんだけど、図書委員の特権で司書の大竹先生からも許可が下りている。成績が良いから誰からも文句は出ない。僕もその特権に与っている。
 あまりにも体格が良いので、『体育会系の男』と思われていた佐々木が図書委員に立候補したとき、クラス中がどよめいた。聞けば中学生のときからずっと図書委員をしていたそうだ。読書が趣味だなんて意外だった。図書室にいると落ち着くというから、相当なものだ。
 本当は僕も図書委員になるつもりだったけれど、当初は口もきかない(僕からの一方的)冷戦状態だったから、手を上げ損ねた。今更だけど、痛恨の極み。
 二名の枠のうち、組み合わせの制限はなかったから手を上げれば済むことだったのに、一瞬の躊躇いのうちに後方からすうっと腕が伸びた、と同時に再び空気が騒めいた。
 挙手したのは斎藤美和子だった。クラスで一、二を争う美人だが、普段は大人しく控えめな子だ。そんな子が仄かに顔を赤らめながらも、真っ直ぐに腕を伸ばして固い意思表示をしたのだから、驚きの声が上がるのも無理はない。彼女の勢いに押されたのか、他に挙手する者はなく、委員長の「はい、決まり」の一声で即決した。
 女子がお互いに顔を見合わせながら、「まあ、彼女なら、ねぇ…」などとひそひそ囁き合う声と、男子のため息を聞きながら、無性に腹が立ったことを今でも思い出す。怒りにお腹の中が熱く煮えたぎるようだった。
 あれは、斎藤さんに対する嫉妬だ。
 自分のつまらない意地を棚に上げて、彼女のささやかな勇気に理不尽な怒りを感じたんだ。自分の不甲斐なさに腹を立てることはあっても、誰か特定の人に対してこんな激情に駆られたのは初めてだ。それは散々自分の顔のことをからかう相手に対しても、抱いたことのない感情だった。
 図書室の薄暗い本棚に並ぶ背表紙の文字を、丹念に目で追っている佐々木の横顔を見ながらつくづく思う。今、こうして佐々木といるようになって、いや、初めて会ったときから、自分はどんどん変わってきている。思えば、他人のことをこんなにも知りたいと思ったのも、生まれて初めてかもしれない。
 佐々木を知ることは、自分の知らなかった感情を知ることで、それは、怖いようで、嬉しいような、自分でも整理のつかないものだけれど、一つだけ分かるのは、決して止めることが出来ないことだ。
 佐々木は一冊の本に目を留めると、長い人差し指を引っかけて抜きとり、ぱらぱらと頁をめくった。文字を追う瞳に影を落とすほど、思いの外長い睫に見惚れてため息をつくと、その瞳を僕に向けて微笑んだ。
「読みたい本、見つからない? この棚は古い本しかないから、飯島には新刊コーナーの方が良いと思うよ」
 僕のため息を勘違いして、佐々木は入り口の方へ視線を向けた。
 入り口に沿った壁側の本棚は、文芸書や推理小説など興味を引きやすい本が並んでいて、入ってすぐ左手の貸し出しカウンターの下、浅めの棚に新刊書と大竹先生の推薦図書が置かれていた。大抵の利用者はこの付近でお目当ての本に行き当たる。
 カウンター前、部屋の中央には左の窓際まで三列に大テーブルが並んでいて、向かい合わせに五十人ほど座れるようになっている。窓は南向きで明るいが、テーブルの終わりから部屋のどん詰まりまで窓はなく、そこに等間隔で並ぶスチール製の本棚は、蛍光灯が点いていても薄暗かった。資料集や日焼けを避けたい古い本の多くはこちらの棚に並んでいた。
 庚申塚高校の前身は東京市立中学校で、開校から既に五十年以上の歴史がある。古本マニアには垂涎の貴重な本があるそうで、そうした本は司書室にしまってあったが、二十年以上前の本などがざらに置いてあった。
 薄暗く古本の埃くさいような、独特の空気が立ち込めるこの棚には、あまり人がこないけれど、佐々木はこの匂いが好きだと言って、好んでここの本を読んでいた。
「古い本だとつまらないだろ?」と笑う佐々木は、本当は僕のことが鬱陶しいのかもしれない。ちょっと拗ねた気分になって「そんなことないよ」と呟いた。
 僕だって本は好きだ。姉が本好きで、その影響は大きかった。姉の本箱はそっくり僕の本箱でもあり、少女漫画から年齢不相応な本まで読んでいた。あまり難しい内容のものは途中で挫折したけれど。
 佐々木も少女漫画を読むと聞いたときは吃驚したけれど、
「一番下の弟が身体が弱くて、母親は手が離せなかったんだ。二つ違いの妹の面倒をみるために、殆ど二人で過ごしてきたから、お互いに影響されちゃって。あいつも少年漫画を読むんだよ。あまり妹って感覚がないんだな」
 と恥ずかしそうに頭を掻いていた。
 同じ女の兄弟を持つ身でも、一回りも年の離れた姉は、僕にとっては尊敬すべき頼れる姉でしかないけれど、佐々木にとっての妹はもっと特別な存在なのだと思ったとき、ちりちりした胸の痛みを感じて怖くなった。自分はどうかしていると、本気で不安になった。
 人をこんな気持ちにさせる当人は、また涼しい顔で手にした本を眺めていたけれど、裏表紙を開いて「あっ」と小さく声を上げた。
「何? どうしたの?」と訊くと、「うん…」と答えたきり暫く裏表紙を眺めていたが、そのまま本を僕の目の前に持ってくると、差し込まれた図書カードを指し示した。そこには七人の名前が書かれていた。
「これが、どうかしたの?」
「うん。この一番下の二人、いつも並んでいるんだよ。清家(せいけ)って人の名前の後を、菅谷って名前が追っているんだ」
「いつもそうなの?」
「今までに五冊、二人の名前を見たよ。この付近の文芸書の棚の本ばかりだけど」
 日付を見ると昭和四十九年十一月と書いてあった。清家さんが返却した翌日には菅谷さんの名前が書かれている。
「これって…」
 本好きの子たちの間でよくやる遊びみたいなものだけど、でも、それは…。
「俺の中学でも流行ったよ」
 佐々木は笑いながら僕の顔を見た。
「えっ、佐々木もやったことあるの?」
 吃驚して大きな声を出してしまった。授業時間中で僕らの他に生徒はいないけれど、慌てて辺りを見回した。
「俺がやったのは、誰も借りたことのない本を見つけて、図書カードの一番最初に名前を書くやつだよ。新刊書でそれをやるとひんしゅくものだから、発行年代を決めて、しかも必ず最後まで読むんだ。借りるだけならすぐ終わっちゃうだろ。俺と競った委員長がアインシュタインの本を借りるのを理科の先生に見られてさ、感激した先生にレポートを出せって迫られて、四苦八苦していたよ」
「そんなのやってたんだ。僕の所は違うのが流行っていたよ」
 はっきりとは言えなかった。その遊びには、この二人の名前は当てはまらない。
「好きな人の借りた本を借りるやつだろ? 必ず名前が並ぶように」
 佐々木が躊躇わずに言ったので、思わず顔を仰ぎ見た。佐々木は図書カードを見ながら薄く微笑んでいた。
「でも、この二人、その、男の人だよ」
「あこがれの人、なんじゃない? この清家さんが菅谷さんのさ」
「ああ、そうか…。そうだね」
 なるほど、確かに男同士ならそういうことかもしれない。学年の記載も清家さんは三年、菅谷さんは一年生だった。佐々木の声音に感慨深い響きを感じて鼓動が早くなった。佐々木にも好きな人か、あこがれの先輩がいたのかしら。
『佐々木もいたの? そんな“あこがれの人”』
 心の中で呟いた。訊きたいのに、怖くて訊けない。代わりにどうでもよい本のタイトルを訊いた。佐々木は本の奥付を見直した。
「『草の花』、福永武彦って人の本だ。昭和四十七年発行だって。読んだことある?」
 僕は息を飲んで佐々木を見詰めた。佐々木は不思議そうにこちらを見返した。
「えっ、ああ。読んだことない…」
 声が震えた。そう、読んだことはない。姉の本棚にあって一度読もうとしたのだが、珍しくこの本だけは「あんたには、まだ難しい」と言われて止めたのだ。でも内容は少し知っている。そのとき教えてもらったから。
「少年期に同性の後輩を愛して受け入れてもらえず、青年期にその後輩の妹を愛して、また受け入れてもらえなかったの。最後は信仰という愛に縋ろうとするけれど、やっぱり孤独なまま死んでしまう人の話」
 姉はそう説明した。哀しい話なんだねと言うと、
「そうね…。人は誰しも孤独なものかもね。自らが愛する気持ちと、人が愛する気持ちが同じなはずがないけれど、頭では分かっていても、心は違う。純粋な気持ちを突き詰めようとすればするほど、孤独になっていってしまったのね…。ぴったりと互いが満たされ合うなんてこと、幻想なのかも知れないのに」
 そう付け加えた。意味が分からず首を傾げると、「だから、あんたにはまだ早いの」と笑った。
「読んでみようかな」
 佐々木の呟く声で我に返った。
「借りるの?」
「うん、ちょっと興味がある」
「じゃあ、その後、僕が借りようかな。僕が読み終わったら感想を聞かせて」
 佐々木は、いいよと頷いてカウンターへ向かった。
『草の花』—。
 あれを読んで、彼はどんな感想を持つのだろう。僕はどんな風に思うのだろう。
 僕らより、十年前(※)に読んだ先輩たち。菅谷さんがどんなことを考えて借りたのかは分からないけれど、同じように佐々木の後に自分の名前を並べようとしている僕は、“あこがれ”とは違う感情をもっている。
 佐々木の広い背中を見詰めながら、自分の気持ちが少しずつ形になるの感じていた。

※これは1984年頃のお話です。
※『草の花』 福永武彦 著 新潮文庫

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by apodeco | 2007-11-05 17:00 | 学ラン通信 | Comments(0)