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ニジンスキーの手記 完全版

ヴァーツラフ・ニジンスキー / 新書館


ニジンスキーの画像を掲載したかったのですが、私的な資料用とはいえ今や巷は著作権問題で揺れておりますので、書影に肖像写真を使用しているこちらを掲載。
ブログに書く前にこちらを読みたかったのですが叶わず、自分の知識と新たに検索して調べた内容を整理して、ニジンスキーの劇的な人生をざっとご紹介します。
ご紹介すると言っても有名な方ですし、山岸凉子さんの漫画や映画にもなったりしていてご存知の方が多いと思います。目新しい情報は少ないかも知れませんし、私はバレエは詳しくないので表面的な事だけです。しばしば脱線もしますんで(おまけに長い)、ダメな時は読み飛ばしてくださいませ。

〈 その1 〉でも書きましたが、ニジンスキーは伝説的なバレエダンサーで、振付家です。
1889年3月12日にロシアで生まれました。その頃日本は明治22年ですので、大日本帝国憲法が発布されて一ヶ月ほど経った頃です。ちなみに、奥村土牛(日本画家)や岡本かの子(小説家で岡村太郎・母)が同じ年に生まれております。
両親はともにポーランド人のダンサーで、血筋でしょうか、9歳で舞踊学校に入学するとずば抜けた才能を見せて、18歳の時には既に主役として舞台に立っていました。
そして、セルゲイ・ディアギレフとの運命の出会いがあり、1909年にディアギレフが旗揚げしたバレエ団『バレエ・リュス』で見事に開花しました。
『バレエ・リュス』というのは、マティスルオーローランサン、ココ・シャネル、ストラヴィンスキーなど名立たる芸術家が衣装や音楽、舞台美術などに参加していたという、今から見ると奇跡のようなバレエ団ですね。
踊り手には、こちらも伝説的なプリマドンナ、アンナ・パヴロワ(所属バレエ団は別にあった)や振付師のミハイル・フォーキンなど、素晴らしい才能が結集していましたが、その頂点に若干二十歳のニジンスキーがいました。
この『バレエ・リュス』に参加していた1909年〜1913年の間に、ニジンスキーは伝説的な踊りを披露しています。
「跳んだまま戻って来なくて、客が忘れた頃に降りてきた」という、まるで空を飛ぶような高い跳躍と艶かしい肉体の表現力で、ジャン・コクトーをはじめチャップリンピカソ、ロダンを虜にしたとか。

見てみたいですよね〜。残念ながら映像はないんですが写真なら見る事が出来ます。
Vaslav Nijinsky, Russian Dancer Canvas Print 
と入力するとかなり良いレベルの写真がごろごろ出て来ます。ただし、ほどんとが海外のサイトに繋がりますので閲覧する時はご注意ください。
私は検索が下手で、イラストを描く前はモノクロ写真しか見つけられなかったのですが、なんとカラー画像(人着)があったんですよ! モノクロだと眼光が鋭くて大人っぽく見えたのですが、あどけない感じが残った青年でした。う〜ん描く前に見つけていたらもっと違った仕上がりになったのに…。
他には『手品師とクジラ』というサイトでご紹介のあった、ニューヨーク公共図書館のニジンスキー紹介ページが良かったので、こちらでもご紹介します。英語ですが分かりやすいし、安心して閲覧できます。画像をクリックすると大きく見られますので、お勧めです。

さて、こうして写真を見てみますと、あまり背が高くなかった上に非西洋的な顔立ちから、『日本人』というあだ名がついていた…というのですが、結構な美青年だと思います。全然東洋的には見えません。ディアギレフさんは美少年趣味だったのね…。
『日本人』というあだ名から…という訳ではなく、空中で静止したような飛翔を見せるダンサーと聞いて私が思い浮かべるのは、熊川哲也さんです。
熊川哲也さんがローザンヌ国際バレエコンクールで踊った『ドン・キホーテ』の飛翔は、本当に空中で静止して見えたのでビックリしたものです。もちろん今の方がもっとずっと凄いんでしょうけど、17歳の美少年が宙を舞う姿が今でも脳裏に焼き付いております。

…さらに脱線しますが、今日までバレエ界にはたくさんの優れたダンサーがおりましたが、その中でニジンスキーの再来と言われたのが、ルドルフ・ヌレエフさんというソ連から亡命したダンサーなんですが、私はこの人が絶頂期を迎えていた頃に生まれたので、教育テレビの『劇場への招待』で観た覚えがあるような…ないような。
私はこの『劇場への招待』が大好きで、宝塚もバレエもこちらでよく観ていましたが、やっぱりバレエは女性が花形(当時は男に興味無し)…とぼや〜っと観ていたものです。その思い込みを一蹴し、「バエレってすごい!人体ってすごい!」と目覚めさせたのは、クロード・ルルーシュ監督の映画『愛と哀しみのボレロ』の中で『ボレロ』を踊るジョルジュ・ドンでした。
これは当時のバレエファンではない多くのパンピーがバレエに目覚めた作品で、私にとってのニジンスキーの再来とはジョルジュ・ドンなのです。
※映画『ホワイトナイツ/白夜』のミハイル・バリシニコフで目覚めた人の方が多いかも。バリシニコフはヌレエフと同じくソ連から亡命したダンサー。ダンスだけじゃなく俳優もしております。

ジョルジュ・ドン(1947-1992)は振付家モーリス・ベジャール(すごく目力のある魅力的な人)率いる20世紀バレエ団の最も重要なダンサーでした。のちに自身のバレエ団を旗揚げしますが、1992年にエイズのため45歳で他界しました。余談ですが、前述のルドルフ・ヌレエフさんもエイズで亡くなっています。54歳でした。
悲しい事に、作家でも芸術家でも亡くなってしまうと、ファンの方はともかく、忘れ去られてしまう事が多いですよね。彼はもうこの世にはいませんけれども、彼の踊る姿を多くの方に観て頂きたいと思うのですよ。ですので、↓是非、こちらの作品は観て頂きたい。

愛と哀しみのボレロ [DVD]

紀伊國屋書店


これはバレエ映画ではございません。
今、日本は安保法案で揺れておりますけれども、戦争によって人々の人生がどうなるのかが描かれていますよ。ドンの踊りだけでなく、よくよく考えて観て頂きたい。そして、嬉しい事にデジタル・リマスター版が、2015年10月17日(土)より、YEBISU GARDEN CINEMAにて4週間限定で公開されるんだそうですよ!
詳しくはこちら→ http://www.fashion-press.net/news/18737
すご〜く長くて(休憩入るはず)トイレとか大変なのだけど、これはやっぱり大きなスクリーンで見た方が良いと思います。2015年10月17日(土)〜11月13日(金)までです。是非是非

さてさて、話を戻します。
ニジンスキーは踊るだけではなく、ディアギレフのサポートを受けてバレエを振付けて上演していますが、特に有名なのが『牧神の午後』(1912年)です。ちなみに、山岸凉子さんの漫画のタイトルも内容もコレです。
牧神に扮したニジンスキーが、乳牛柄をペイントした衣装でニンフの落として行ったヴェールを抱いて自慰行為をするという振り付けで(実際しちゃったんだそうですよ、舞台の上で)、下品だと不評を買ってしまいましたが(それはそうでしょうよ。今なら捕まっちゃう)、ニジンスキーを語る上では欠かせないエピソードです。
その後ストラヴィンスキーの『春の祭典』(1913年)で、それまでのバレエでは考えられなかった前衛的振り付け(今では当たり前?)をし、20世紀バレエの幕開けを意味する踊りと評されています。
そんな輝かしいニジンスキーの人生は、1913年から下り坂になります。
ディアギレフと恋人(同性愛)関係だったにも関わらず、ハンガリー人のバレリーナで彼のファンだったロモラ・デ・プルスキと興行先で突然(!)結婚してしまい、ディアギレフから『バレエ・リュス』を解雇されてしまうのです。

このセルゲイ・ディアギレフという人は、地方のお金持ちの坊ぼんで、自身が芸術家(特に音楽系)を目指していたそうですが、早々に才能無しと見切りをつけ、絵画の展覧会を開催したり芸術雑誌を刊行するなどプロデューサーに転身し、のちにバレエに対象を絞り「総合芸術としてのバレエ」を確立しました。
ディアギレフの才能を発掘する審美眼は確かだったようで、前述した名立たる芸術家を動員した『バレエ・リュス』の衣装を集めた展覧会—魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展—が、昨年の今ごろ国立新美術館であったんですが、本当に素晴らしかったようで、見られなかったのが残念無念…。

美しいモノが好きな人は、ゲイが多いのでしょうかね…、ディアギレフは根っからの同性愛者でした。それは別に良いんですが、ただ、この人にはあるクセ(?)があって、性愛の対象を一流の芸術に触れさせて教育するという習慣を持っていた(出典:ウィキペディア)というのです。(ニジンスキーの他にもいっぱいいたんですね)
私は最初、『舞台で踊りたくば、おまえの体を捧げよ〜』ってムリヤリ関係をもっちゃうのかと思った(多くの人がそう思ってる?)のですが、ニジンスキーだけじゃなく審美眼で見いだした若い(ここ、強調)性愛の対象(♂に限る)を一流のダンサーに育て上げるのが趣味(?)だったのかな…。
では、二人の関係はムリヤリだったかというと、違うと思います。ニジンスキーはディアギレフに会う前(10代)には『男も女も知っていた(バイセクシャル)』そうで、誘われて関係を持つ事に躊躇わなかったのではないでしょうか。
前述した『牧神の午後』のエピソードなどと合わせてみますと、踊っている時に得られるエクスタシーと性交中のエクスタシーはどちらも同じ感覚で、気持ち良くなる事は素直に好きだったんじゃないかと。
ただ、ディアギレフとニジンスキーの恋愛感には、温度差があったのはないでしょうか。
伝記や評伝を読破した訳ではないので私の想像にはなりますが、ディアギレフはニジンスキーを才能だけでなく精神的にも愛していたと思いますが、女も愛せるニジンスキーにはディアギレフの執着が重かったのかも。
他にも問題があったのでしょう。でなければ、言葉も碌に通じない相手と結婚なんてしないと思うのですよ。電撃的に恋に落ちたとも言われていますが、何をどう思ってそうしたのか、真実は本人しか分からない事です。
どちらにしろ、ディアギレフは激怒します。これは分かる気がします、とっても。
一説によれば、ニジンスキーは結婚したからって『バレエ・リュス』から追い出されるとは思ってなかったようなので、やはりかなりの温度差を感じますね。
これが喩え完全なるパトロンと芸術家の関係だったとしても、この仕打ちは裏切られたと感じるのが普通でしょう。でもまあ、関係が終わる時なんて、こんなもんです(達観)。そして、ディアギレフは女性に盗られて終わるパータンが多かったみたいです(涙)。

こうして追い出されたニジンスキーは、新たにバレエ団を旗揚げしますが、踊る事にかけては天才でも興行師としての才能は無かったようで失敗に終わります。
思うように踊れる環境がなくなり、第一次世界大戦中に拘留されるなど心労が溜まったのか、次第に精神を病むようになり1919年の公演を最後に舞台から姿を消しました。
最初にご紹介した『ニジンスキーの手記』は、精神を病み始めた頃に書かれたそうなので、読むのが切なくなりそうです。
結局、ニジンスキーが活躍したのはわずか10年。その後は精神病院を出たり入ったりしながら(第二次世界大戦中には、あわやナチスに殺害されそうになったりもした)30年以上も隠遁生活を送り、1950年にロンドンでその生涯を閉じました。61歳でした。現在はモンマルトル墓地に改葬されています。
※この長い闘病生活の模様はロモラ・ニジンスキーが書いた『その後のニジンスキー』に詳しく書かれているそうなので、興味のある方はこちらもどうぞ。
参考・出典:ウィキペディア、ほぼ日刊イトイ新聞『担当編集者は知っている。』、松岡正剛の千夜千冊1099夜 より

ざざっと触れましたが、波瀾万丈ですね…。狂気に陥った原因は様々言われていますが、真偽のほどは分かりません。
これは私の個人的見解ですが、ニジンスキーにとって “ 生きる事 ” は “ 踊る事 ” だったと思うのですよ。〈 その1 〉で触れましたがどの舞台写真でも本当に嬉しそうで、その役になり切っているのでしょうか、とても生き生きしています。私は特に『ジゼル』の写真が好きです。すごく奇麗です。
踊る事と舞台を創造する(振付ける)事、それに付随する肉体的な悦び(運動によって起こる高揚感と、衆目を集めその視線を浴びる快感など)が、彼の人生の全て(存在価値)だったから踊っていられれば幸せで、それ以外の恋愛とか生活の雑事は大して重要ではなかったのでしょう。
だから誰と結婚しても、一番重要な『芸術的なバレエを創り上げたい』と思う部分で、ディアギレフとは深く繋がったままだと思っていたのかも知れません。
そう考えると、踊る場がなくなってしまったのが、病んでしまった大きな要因なのでしょうが、だからと言って誰のせいでもないと思います。
今、仕事がらみで、タイムリープして人生をやり直す少女の漫画を読んでいますが、現実の人間の人生は、何度やり直しても同じになるような気がします。だって、この人生でなければ、伝説のダンサー『ニジンスキー』ではないように思うからです。

最後にこちらの本のご紹介。
ニジンスキーを知るには、『ニジンスキーの手記』だけでは戸惑ってしまうかも。こちらの評伝も合わせて読もうと思います。
余談ですが、同名のタイトルでジョルジュ・ドンが踊る舞台があります。見たかったな…

ニジンスキー 神の道化

鈴木 晶 / 新書館


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by apodeco | 2015-09-10 00:00 | 肖像 | Comments(0)

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夏が終わりましたね…。冬と違って夏が終わる時は何だが寂しい気分になります。
しかーし、アンニュイな気分に浸ってうかうかしてると今年が終わってしまいそうなので、この秋からまたいろいろ頑張りたいと思っています。
ちなみに、前回でも触れましたが絵楽塾は修了し、塾生作品展(8月22日〜26日)も無事終了しました。見て来てくださった皆さま、どうもありがとうございました。
まだ作品を受け取りに行っていないので、作品が戻り次第撮影して塾生作品展の模様と、三期の授業について書きたいと思いまーす。

さて、今回は久し振りの肖像シリーズです。
デッサン教室が終わるまで “ 漫画絵は描かない ” と決めていたので、イラストを描くのはなんと7年振りになります。自分でもビックリ!
肖像シリーズとは現存の肖像写真を元にちょっと私のイメージを加えて、近代の(広い意味で)芸術家の絵を描くというもので、全部で10人の芸術家を描こうと決めています。
ビアズリーから始まり5人目になる今回の人物は、伝説のダンサー、ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキー(Vaslav Fomich Nijinsky,1889-1950)です。

ニジンスキーは20世紀バレエの先駆けとなったロシアの伝説的バレエダンサーであり、振り付け師です。大変興味深い方なので〈 その2 〉で彼の人生に触れたいと思います。
イラストの元にした写真の撮影者など、詳しい来歴は分からないのですが、おそらくディアギレフ(ロシアの芸術プロデューサー)のバレエ団『バレエ・リュス』で踊っていた1909年頃 (ニジンスキーが一番輝いていた頃)のものらしく、なるほど自信に満ちた表情で生気にあふれています。
ディアギレフだったか、ご本人が嫌いだったとかで残念ながら映像が残っていないため、僅かな写真でしか見る事が出来ませんが、こうした素のニジンスキーよりも、踊りの役に扮して撮影されたものの方が表情も豊かで、何とも言えず幸せそうな、それはそれは美しい表情を浮かべています。踊っている時が、一番幸せだったのでしょうね。
その中で、普段のニジンスキーでありながら豊かな表情をしたこの写真が気に入ってイラストにしたのですが…私のイメージ(好み)で描いていますので、他のイラスト同様似てません…トホホ。

Gペンと丸ペンで、ぐりぐり描いてみました。
これから漫画を描こうと思うなら、ペンタブで描いた方が良いのですが、今の仕事になって漫画の生原稿を見る機会が多く、プロの先生方の美しい手描き原稿への憧れと、やっぱり手で描くのが好きなので頑張りました。
余談ですが、バックの模様は大好きなビアズリーの絵を参考にしております。山本タカトさんの絵などに見られる、あの禍々しい感じの模様を生み出す感覚が皆無なので、真似っ子して勉強させて頂いております。
しかーし、7年経っても絵のタッチは変わらない(古臭い)し、せっかくデッサンを習っているのにあまり成果が見られなくて(特に髪の毛が “ 束で描く ” 教えが活かせなかった…)、自分でもガッカリな結果に。
見てるだけでも勉強にはなりますが、見るのとやるのは大違い…というか、やっぱり描かなきゃ上手くなりませんわね。でも、ペンの使い方はずっと良くなっていると思います。だいぶ慣れて来た感じです。
ただね、トーン貼りがね、難しい〜。大失敗です。全然立体感がない。貼らない方が良かったかな。
それでも、やらなきゃいつまで経っても出来ないままなので、これはこれで良しとします。

今後の目標は、もう少し今どきの絵が描きたい! それと、ペンを自在に操って強弱の効いた柔らかい生きた線が描きたいです。
漫画を描くには、まだまだ先が長いなぁ〜って感じですが、地道に次のイラストを頑張りたいと思います。
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by apodeco | 2015-09-02 00:08 | 肖像 | Comments(0)

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 ビバ、宝塚!って感じですね(笑) 池田理代子先生チックな絵になってしまいました。好きなもので。
 一月最後にもう一枚、頑張って更新しました。
 久しぶりの肖像シリーズです。現存の肖像写真を元にちょっと私のイメージを加えて、近代の(広い意味で)芸術家の絵を描いていますが、今回のロベール・ド・モンテスキュー=フザンサック(Comte Robert de Montesquiou-Fezensac, 1855-1921)伯爵の絵は、写真ではなく肖像画を元に描きました。
 イタリアの画家、ジョヴァンニ・ボルディーニ(1842-1931)が描いた『モンテスキュー伯爵』(1897)です。“ダンディー”を体現している伯爵に一目惚れしました。
 モンテスキュー伯爵はベル・エポック時代随一の伊達男、趣味人でした。名家の出身(かのダルタニヤンの末裔)で詩人であり優れた批評家です。プルーストが『失われたときを求めて』でシャルリュス男爵のモデルにしたという伯爵は、男色で知られた方なんだそうです。事の真偽はさておき、とにかくそのお洒落さには目を見張ります。
 正方形の枠に納めるために全体まで描けませんでしたが、茶系のカシミア地のスーツに、お揃いのシルクハットを左手にさり気なく持っています。黒い(ボウ)タイと白いキッドの皮手袋。手にしているのはルイ15世ゆかりのステッキだとか…。
 左腕にトルコ石らしいカフスがちらりと見えているのですが、これを模造したものが売っているらしいですよ(日本で手に入るか分かりませんけど)。着るもので目立つのは野暮なんだそうで、こうした細部に気を使っていたんですね。
 いったい本物はどんな絵? と思われた方は、Shotor Museum『名画とファッション』深井晃子著(小学館)をご覧になってください。
 これは“名画の魅力をファッションから鑑賞する”というコンセプトの本で、描かれた服装だけでなく、その人物や時代背景などにも触れていて大変面白い美術書です。興味のある方は是非どうぞ。
(伯爵本人については『1900年のプリンス』 フィリップ・ジュリアン著( 国書刊行会)に詳しく出ているそうです。未読)

ポイント…口髭
 いつもは顔を中心とした構図で黒を基調に仕上げていますが『モンテスキュー伯爵』の場合、今までとは違って全体の雰囲気が命なので、反対に白を基調にしてみました。
a0095010_16561572.jpg 口髭をレット・バトラー風(昔はこの人の魅力が分かりませんでしたが、今なら分かりますよ。年取ったのね私…)にしましたが、没にした左の絵の方がボルディーニの絵に近いです。
 本物は下唇の下にも山羊のような髭をはやしています。私のはフェロモン垂れ流し系になってしまいましたが、もっと落ち着いた上品な大人の男性です。

 さて、貴族という人種を見たことがないので、なかなかイメージしにくのですが、ぱっと頭に浮かぶのはヴィスコンティの映画です。『ルートヴィヒ』のヘルムート・バーガーが似ているかなと思いますが、こちらは1864年ころのお話なので、年代的には『イノセント』の方が合ってますね。でもイタリアのお話だから微妙に違うかも。
 私はイギリス映画(俳優)が好きなので『眺めのいい部屋』のダニエル・デイ・ルイス(←どあ〜い好きなんです〜。そのうち「男絵」でダニエル描きますよ!)は、と思ったのですが、これは更に20年ほど後の今世紀初頭の話で、貴族と平民の差が殆どなくなりつつある時代なんで、お洒落だけど華美じゃないのね。
 あまり映画を見ない私はこの辺が限界でした。19世紀末を描いたフランス映画で有名なのがあったら、どなたか教えてくださいませ〜。
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by apodeco | 2008-01-30 17:33 | 肖像 | Comments(1)

ボジーの憂鬱

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※イラストをクリックして見てください。

ボジーの愛称で呼ばれるアルフレッド・ダグラス(Lord Alfred Douglas 1870-1945)はオスカー・ワイルドの恋人のひとりでした。ワイルドを奈落の底に突き落とす原因になった人ではありますが、ワイルドに美と創作の天啓を与えたことは確かなようです。
大層美しい人で、『トーマの心臓』のユーリではないけれど“聖堂の絵のような顔”は、ワイルドでなくても心を動かされるものがあります。
こうした芸術家にとっての美の女神を『運命の女(Femme fatale )—ファム・ファタール—』といいますが、ワイルドにとってボジーはまさに“運命の人”だったのかもしれません。
美の女神であり同時に破滅に導く誘惑者。ゲーテの『ファウスト』に出てくる“メフィストフェレス”は悪魔らしい醜い姿のようですが、私の頭の中の誘惑者“メフィストフェレス”は、このボジーのような美しい姿だったのでは?と想像してしまいました。
資料は以前コメントでも紹介いたしましたサイト「Oscar Wilde 〜最初の現代人〜」で拝見したものです。
ワイルドについて詳しく知りたい方には是非お勧めいたします。

ポイント…口元。(筆で濃淡つけてみました)
「憂鬱な物思いに耽るボジー」というイメージで描いてみました。
不快な物思いについ口元がへの字になってしまった、そんな感じが出せたでしょうか?
はっきり言って実物はもっと美形です(泣)。かなり若い時(十代?)のプライベートスナップを元にしましたが、もう少し青年にしてみました。
バック(壁紙のつもり)の花は薔薇ではなく“くちなし”です。
今の時期、白い花が美しく甘い良い香りがしていますね。でも枯れた姿は黄色く変色してそのまま朽ちていくのが何とも醜悪で、美の末路を見るようです。

今度、カラーインクに挑戦しようと、筆に慣れるため墨で濃淡つけてみましたが…。
グラデーション失敗していますね…。すぐ乾いちゃうし、色は濃いし、難しいですね。
練習あるのみ! 頑張れ、自分!
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by apodeco | 2007-07-07 14:12 | 肖像 | Comments(0)

夢想するオスカー

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※イラストをクリックして見てください。

オスカー・ワイルド(1854-1900)は日本でよく知られた作家ですが、
私は2、3冊しか読んでいません。彼の書く小説よりも彼そのものに興味があります。
美的冒険者、批評家、伊達男、男色家。時代の寵児でありながら、男色家であったがために晩年は不遇のまま生涯を閉じたそうです。
イラストの元にした写真は、ナポレオン・サロニー(1821-1896)が撮影した有名な写真です。
1882年に若き日のワイルドが、アメリカへ講演に行った際に撮った写真だそうです。
ワイルドという人を今日に伝える優れた肖像写真だと思います。

ポイント…瞳にご注目
人を食ったような皮肉屋さんだったのかな…という印象のワイルドですが、
想像の世界に遊ぶ、夢見るような表情にしてみました。
しかし、お洋服が失敗〜。写真ではファー付きのコートを着ているのですが、
ファーに見えない〜(><;)。これだと白の羊毛みたい…。
モノクロですが、恐らく焦茶色の毛足の短いファーではないかと思います。
質感を出すって難しいです。
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by apodeco | 2007-05-21 23:59 | 肖像 | Comments(2)

ビアズリーに寄せて

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※イラストをクリックして見てください。

フレデリック・H・エヴァンズ(1853-1943)が撮影したオーブリー・ビアズリー(1872-1892)の肖像写真を参考に描いてみました。
同じ時に撮影されたであろう頬杖をついて視線を下げたものと、目を見開いた横顔の写真が有名です。
オーブリー・ビアズリーはオスカー・ワイルドの『サロメ』の挿し絵で知られていまが、あの繊細な美しい絵がこのなが〜い指から生み出されたのかと思うと感動して眺めてしまいます。
その手指を描きたいがための作品。
ちなみに、本物のビアズリーはみごとに切り揃えた前髪をしています。ちょっと独特な雰囲気ですね。

ぷらすあるふぁ…くちびるにご注目。
うすーいくせに、触れるとやらわかそうで、思わず「チュッ」としたくなるような『くちびる』にしてみました。雰囲気でてるかな〜?
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by apodeco | 2007-04-17 01:40 | 肖像 | Comments(4)