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紫雲、棚引けば—庚申塚高校物語— その3

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※Illustration by 具満タン




このお話の時代は1984年です。今の時代ではありません。
『カセットテープ』の回にお話ししましたが、“せかちゅう”と同年代です。
ですから、携帯電話もメールもありません。このようなアイテムは夢のまた夢、みたいなモノでした。携帯出来るのはウォークマンくらいで、ポケットベルもビジネス用で一般に出回るのはもう少しあとの話です。
歌番組は『ザ・ベストテン』でマッチやトシちゃん、聖子ちゃんや明菜ちゃんの全盛時代でした。もちろん私の大好きなジュリーもまだ歌をうたっていましたし、バンドはチェッカーズが一番人気だったかな…。
友だちはアルフィーの同人誌をつくっていて、私もいくつかイラストを描きました。
バラエティーは『8時だヨ!全員集合』と『オレたちひょうきん族』が激しく戦っていましたが、年齢的に『ひょうきん族』を見ていましたね。
たけし巨匠がたけちゃんマンで「コマネチ!」を連発、さんまさんが「ヒャ〜(?表現できない声)」とブラックデビルの雄叫びを挙げていました。
(個人的にはあみだババアが好きでした)
高校の校舎は冷房がなく夏は窓全開。プールの後の午後の授業は涼しいのですが、睡魔との戦いでした。冬は電気ファンヒーターでちっとも暖かくならないし、土足(当時でもめずらしい方でした)なので埃っぽいし。
食堂はプレハブで夏は暑くて、食堂のおじさんはステテコ姿で調理していました。部活動用の部室もプレハブで、しかも不法建築(!)。顧問の先生から「お願いだから火事だけは出すな!(だからタバコは厳禁)」とよく言われていましたよ。(危ない学校だ)
土曜日はもちろん休みじゃなくて、半ドンでお昼を食べて部活して、5時に山下達郎の「ダウンタウン」の下校放送を聞いて、そのまま池袋へ繰り出す…。
なんて生活を、このお話の主人公もしている訳です。
今から考えると不便な生活をしていましたが、当時はそれが当たり前で特に不満も感じていなかったと思います。
そんな日常の思い出を盛り込みながら、また、お話を書けたらいいなと思っています。

↓とりあえず、完結です。お読みいただき、ありがとうございました。
※この物語はフィクションです。登場する団体等、一切関係ありません。
※前回、「人気者ねえ。どっちかつうと、アイドルだな」の台詞
 アイドル=人気者なのですが、ここではアイドル=偶像(崇拝の対象になっている事物)
 という意味合いで使っています。




[佐々木則行の場合(下)]

 午後の授業は、最悪だった。クラス中にソワソワと落ち着かない空気が漂っていた。ちらちらと、こちらを窺う視線を感じた。俺は一番後ろの席だし、授業中だからあからさまに振り向く奴はいないが、みんなの関心が自分に向いていることは確かだった。
 五時間目の授業中からヘンな空気を感じていたが、六時間目の前の休憩中に佐野からメモを渡されて驚愕した。
『はたして、佐々木は飯島に声を掛けるか?』
 声を潜めて話したつもりだったが、昼休みの朝比奈との会話はしっかり聞かれていたようだ。
 自分の動向がこんなに関心を引いていたとは夢にも思ってもいなかったので、正直面食らった。小心者以前に、こんなに注目されたら声なんか掛けられないじゃないか。
 結局その休憩中は椅子から立ち上がることすら出来なかった。佐野はニヤニヤと笑っただけで何も言わなかったが、遠巻きに俺を見ている視線に耐えるのがやっとだった。
 なんか似たような話が無かったか? …ああそうだ、妹が読んでいた「ベルサイユのばら」だ。マリー・アントワネットがデュ・バリー夫人に声を掛けるかどうかってやつ…。俺はマリー・アントワネットか!
 まずかったと後悔しても、後の祭りだ。あろう事かあれだけ無視してくれた当の飯島の視線も感じる。朝比奈の奴、しゃべったんだろうか?
 授業が始まって視線の攻撃がやわらいだが、今もメモが回っている。人をカモに賭でもしているのだろうか? 最近こんなことばかりだ。なんでみんな、そんなに他人が気になるのか?
 俺はひたすら教科書を睨みつけたまま顔を上げられなかった。おかげで自分が指されていることも気づかず、教師の怒声が飛んできた。大橋という地学教師は百九十センチはある大男で、山岳部の顧問だった。体躯に見合った大きな声でよく笑う陽気な先生だが、怒鳴られると怖かった。
「佐々木! お前寝てるのか! 下ばかり向いて。午後の授業だからって気を抜くな!」
「他の者もだ! お前たち、今日は落ち着きがなさすぎる! 授業に集中しろ!」
 窓ガラスがビリビリいいそうな大声で渇を入れられ、さっと教室中に緊張が走った。やっと皆の意識が黒板に向かった。
 有り難い。大橋先生が救世主に見えた。俺はほっとして、ようやく顔を上げると視線が一つだけこちらを向いていた。飯島だった。こうして席についた状態でお互いを見つめ合うのは初めてかもしれない。こちらは緊張してしまって、視線が固まったまま外せない。
 飯島の顔を見ながら思った。本当はずっと前から話がしてみたかった。このサクランボのような唇がほころぶ様を見てみたい。たぶん初めて会ったときから、ずっと。
 どれくらい見つめ合ったか分からない。もしかしたらほんの数秒間なのかもしれない。でも俺には随分長く感じられた。急に飯島は何かを思いついたように、きらっと目を輝かせて悪戯を思いついた子どもみたいな顔で笑うと、おもむろに身体を後ろへずらし、少しだけこちら向きに変えた。何をするのかと思っていると、右手で着ている学ランの合わせを掴み裏地が俺に見えるように拡げて見せた。光沢のある臙脂色の裏地に何か模様がある。キラキラ光って見える模様は、刺繍だった。
 いわゆる裏刺繍というやつだ。唐獅子に見えるけれど、よくある安っぽい唐獅子牡丹とは違っていた。どこかで見た事がある。あれは、確か美術の教科書に載っていた…狩野永徳の「唐獅子図屏風」だ。ニ対の獅子が金糸銀糸で刺されている。手刺繍か機械刺繍か遠目では分からないがとても美しかった。
 それにしても学ランの下に裏刺繍って、飯島って番でも張っているのかしら? この顔で? 裏番とか? でも狩野派の裏刺繍って…随分高尚な…いや、やっぱり違うよなぁ…分からん…。
 ぐるぐる駆けめぐる疑問符に、茫然とした俺の顔が余程間が抜けていたのか、飯島はしてやったりという顔で可笑しそうに笑ってみせた。
 飯島って…砂糖菓子のような甘い外見に似合わず、その中身は唐辛子でも詰まっているのかもしれない。あまりのギャップになんだか脱力してしまった。女の子と間違えて傷つけてしまったと、こちらは随分悩んだというのに。取り越し苦労というやつか。本当に俺は臆病で小心者だ。
 なんか負けた…。
 そう思ったら可笑しくて笑いがこみ上げた。授業中だから色即是空、色即是空と唱えてみたが、顔に浮かぶ笑みが押さえられない。思わず片手で口元を隠した。
 飯島は俺が笑ったのに驚いたのか、何故か顔を赤くして慌てて前を向くと居住まいを正した。朝比奈の云う通り、俺は飯島に嫌われている訳ではないようだ。
 この授業が終わったら、誰に見られていようと彼に話し掛けよう。
『自分を変える』ことは、そんなに難しく考えなくてもいいのかもしれない。ほんの少し、答えが見えた気がした。

(了)
by apodeco | 2007-06-01 00:51 | 学ラン通信