紫雲、棚引けば—庚申塚高校物語— その5

a0095010_21215622.jpg諸事情により、一週間に一度しかブログを更新できなくなりました。
イラストも描きかけで放置してあるものがいくつかあります。情けないことに、私は生涯締切りに追われないと物事を進められない人かもしれません。
今日更新すると次は七日目にお会いすることになります。

『また会いましょう』という約束は、未来の出来事で互いの気持ち一つに頼るしかない、大層不確かで心もとないものですが、また会えると言う期待感は、一本の細い糸のようにいつまでも切れることなく、相手の心に繋がっているような気がします。
『約束する』ということも、目に見えないものですね。相手を信じるしかありません。
でも、だからこそ大切な、守らなければならない事柄だと思います。
昔、それがどんなに大切なことか分からせてくれた人がいました。かなり辛辣にやり込められたので、今でもその人と『約束する』ときはどきどきします。
でも、そうして意見してくれる他人の存在は、とても有り難いことだと思っています。
いろんな人との出会いがあって、今の自分があるのだとつくづく思います。
そんな出会いの場でもある私のブログに
「見に来てくれて、ありがとう」
貴方に繋いだ一本の糸が、きっとまた巡り合わせてくれることでしょう。


つづきのお話です。
お時間のある方のみ↓より、どうぞ。
※この物語はフィクションです。登場する団体等、一切関係ありません。



[飯島薫の場合(中)]

 高校へ進学したら生物部へ入ろうと決めていたから、入学二日目に見学に行ってそのまま入部した。そんな奇特な生徒は僕一人だったらしく、部員争奪戦の最中にも生物室は静かなままだった。無理矢理勧誘しても続かないから「来る者拒まず、去る者追わず」と、昆虫少年がそのまま大きくなったような部長は笑った。結局二週間たった今も僕以外の入部希望者は来ていない。
 二、三年生合わせても十人もいない生物部は、風前の灯火といった感じだった。活動も生徒の自主性にまかせているとかで、各自の研究内容に合わせて出欠も自由だったから、全員揃ったところを見たことがない。おかげで入部間もない僕も他の部員同様、戸締まりのローテーションに組み込まれてしまい、今週は僕が居残りで後かたづけをしている。いつもは部長も一緒にやってくれたが、今日はどうしても用事があると言って帰ってしまった。
 後かたづけといっても火と窓の戸締まり、日誌を書いて生物室の鍵を顧問の先生に渡すだけだった。顧問は隣の生物準備室にいるから手間はない。本来なら大杉先生という定年間近の生物教諭なのだが、身体の具合が悪いとの理由で、生物とは縁もゆかりもない現国の川村和人という若い先生が担当してくれていた。
「先生、後かたづけ終わりました」
 断って部屋へ入ると先生は窓の外を見ていた。
「ああ、ありがとう」
 鍵を受け取ると大きく伸びをした。いつも部活が終わるまでこうして窓の外を眺めて、暇つぶしをしているようだった。
 川村先生は、目の幅より少し大きいだけの細く黒いフレームの洒落た眼鏡を掛けていて、短めの髪を整髪料で立たせた姿は、高校の先生というよりは雑誌のモデルみたいで女子にとても人気があった。
「先生も大変ですね。生物の先生じゃないのに」
「ああ、仕方ないよ。他に暇な先生はいないしね。それに僕は個室を持てない教科だから、こうして準備室を使わせてもらえるのは有り難いよ」
 国語・英語・数学の三教科の教諭は準備室は貰えず、二号校舎の二階にある職員室に詰めていた。
「でも先生はずっとそうして外を見て、暇つぶしをしているんでしょう?」
「ひどいなあ、これでもちゃんと教材準備や採点もしているよ。それに外を見ているのは僕の趣味のマンウォッチングだから暇つぶしって訳でもないんだよ」
 そう言って切れ長の目を細めてうっすらと笑った先生の顔はどこか中性的で、横山大観の絵の観音様みたいだと思った。思わず見惚れてしまった僕は、慌てて言葉を探した。
「マンウォッチングって何ですか?」
「人間観察のこと。ほら、こっちへ来て見てご覧」
 先生はおいでおいでと手招きした。僕は近寄って窓の外を覗いた。生物室の前のグランドは陸上部の練習場で、五時を回ってもかなりの生徒が残って走り込みをしていた。
「例えば…ああ、あそこにいる岡田克巳くん、飯島くんと同じクラスだったね。入学したばかりなのに、六月の競技会に出るんだってね。毎日あのレーンで練習しているけど、期待されているプレッシャーからか、いつも辛そうな顔をして走るんだよね。でも中学生のときから競技会の常連だって聞いていたから慣れていると思うのに、なんでかなと思ってね」
 先生の指さす先に克巳が走っていた。辛そうと言われればそうも見えるが、全身全霊で練習していれば苦しいのが普通だろう。もともと克巳は喜怒哀楽の変化が表にでない方なので、何を考えているか分からないと誤解されることが多かった。本当は誰より優しくて頼りがいのある友人は、その外見で損をしていた。ちょっと三白眼気味の目が怖い印象を与えるから、もっと笑えばいいのだけれど、普段は無愛想が顔に張り付いていた。
「僕にはいつもと変わらなく見えますけど…」
「いつも、ああなのかい? それは困ったね」
 言葉とは反対に困った風ではなく、慈愛に満ちた優しい顔だった。
「体育の宇都木先生がね、この分なら初めて入賞しそうだって喜んでおられたから、記録はそうとういいみたいだよ。なのに不満気に見えないかい? 達成感がないみたいなね…。少しでも上を目指そうと目標を高く持つことは良いことだけど、一つ一つの結果に満足して行かないと、いつかは破綻してしまうよ」
 ここ数日間、自分のことでいっぱいで克巳の部活動の話など聞いたことがなかったと思い出す。競技会の話は聞いていたけれど、記録の愚痴や悩みなど聞いていない。克巳が記録にこだわる理由は何となく分かるけれど、本当の事は聞いたことがない。いくらポーカーフェイスでも、中学生のときは結果が良ければ素直に喜んでいたから、記録が良いなら確かにあの表情はどうした訳だろう。やっぱりプレッシャーなのかしら?
 僕は何を見ていたのだろう? 僕のことを自分のことのように気にしてくる克巳。なのに、誰より一緒にいる僕が、親友の変化に気づいてあげられないなんて…。我ながら自分の馬鹿さ加減に情けなくなった。
「あとね、やっぱり同じ組みの佐々木則行くんか。彼、目立つよね。それに案外大胆な性格みたいだね」
 不意に佐々木の名前を聞いてドギマギしてしまった。慌てて窓の外を見たがそれらしい姿は見えなかった。
「剣道部の子から聞いたんだけど、剣道部の勧誘を断ったらしいよ。彼氏、段位もっているらしいから部長が張り切って勧誘したのに、あっさり断ったんだって。それで入部を賭けて試合をすることになったそうだ。彼って紳士的で人が善さそうに見えるけど、結構熱い男なんだね。でも、この話は内緒だよ。そんな試合は顧問の松崎先生が認めないだろうからね」
 そう言って、人差し指を唇にあてて面白そうに笑った。
 僕たちが入学してまだ二週間なのに、その情報通ぶりに茫然としてしまった。僕は潤次や克巳から聞く佐々木のことしか知らないから、剣道をやっていることも、有段者だっていうことも知らなかった。大半の情報は先生に群がる女の子たちから聞いたのだろうけれど、それにしても本当によく知っている。
 佐々木は、熱い男…なんだろうか? 誰とも同じように穏やかに接している佐々木の姿しか頭に浮かばない。これが『人間観察』の成果なのかしら? 見ているだけで、どうしてそんなに分かるのだろう。
「見ているだけで、先生みたいに、人のことが分かるようになるんでしょうか? 内面とか、思っていることも…」
 思わず口に出していた。この先、佐々木と話せないままだったらどうしよう? ずっとそう思っていた。このまま見ているだけで一年間が終わってしまうかもしれない。もしそうなら、どうやって彼の事を知ることができるだろう。僕は自業自得とはいえ、悲しくて仕方なかった。僕だけが佐々木としゃべれない。
 先生は窓枠にもたれながら、しばらく僕の顔を見詰めていた。
「知ることと、理解することは別物だよ。僕は情報を得ているだけだ。毎日見ていれば、変化には気づくし、表情である程度のことも分かる。でもね、人の内面なんて見ているだけでは本当のことは分からない。人と人が分かり合うにはね、『言葉を尽くして思いを伝え合うこと』これだけだと僕は思う。相手の気持ちが知りたければ、思い切って自分から歩み寄ることだよ。勇気がいるかもしれないけどね」
 先生は、ねっと観音様のような顔を傾げて僕を見た。僕は、「はい」と小さく返事をして準備室を出た。このままいたら涙が出そうになったから。先生は僕らの噂を聞いているのかもしれないと思った。
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by apodeco | 2007-06-17 21:58 | 学ラン通信