紫雲、棚引けば—庚申塚高校物語— その8

a0095010_0375096.jpg9月に入りました。少し涼しくなってくれると有り難いですね。
剣道の話を書いていますが、以前NHK教育の「にんげんドキュメント」という番組で世界剣道大会で主将を務めた方のドキュメンタリーを見て大感激したもので、つい魔が差しました。書きたくて書いたものの、やったことありませんもの、わかりゃしない(笑)
剣道経験者に根掘り葉掘り訊いて、DVDを見て、ネットで調べて、頑張りました。果たして剣道を知らない方に私の文章力で伝わるのでしょうか? 冷や汗ものです。
今回調べてよかったなと思うのは「剣道って面白い!」って分かったことです。
一瞬で勝負がつくことが多いですが、延長になった場合時間は無制限ですよ! 延々11分の試合なんてよく気力が持つと、敬服しました。
佐々木の試合は5話目になります(まだ先じゃんか!)。
剣道に興味のある方は、DVD『ただ一撃にかける』(発行・販売:NHKエンタープライズ)お勧めです。

さて、今回もまた気長にお付き合いください。↓よりどうぞ。
※この物語はフィクションです。実在の人物・事件・団体等、一切関係ありません。



[岡田克巳の場合(2)]

 野球部のノックの掛け声、サッカー部のランニングの声。遠く近く、運動部の生徒の声が不思議と調和をもって響く。庚申塚高校は敷地の広さに比例して運動系のクラブ活動が盛んだ。大会の成績も良く、都立高校にしては注目度も高かった。それでも所詮は都立で、金で呼べないから、“ スター選手 ” と言われる生徒は少ない。かろうじてサッカー部と俺の所属する陸上部と剣道部には、新聞ネタになりそうな生徒が在籍していたが、私立のスカウトを蹴ってまで、どういう事情でこの高校に来たのかは知らない。
 俺にも私立高校からの誘いはあった。短距離で記録を出したことがあるからだが、安定したものではなかったので「来てみないか」程度のお誘いだった。もともと都立と決めていたし、目と鼻の先に高校があったから、わざわざ遠い学校へ行く気はしなかった。最も俺が私立に行きたいと言っても、親はいいとは言わなかっただろう。
 入学早々、陸上部の顧問の宇都木先生と、数少ない “ スター選手 ” の谷口先輩の勧誘で入部したが、まさかいきなり競技会へ出ろと言われるとは思わなかった。一年生が出場するのは稀なことだし、待遇も練習メニューも他の一年生とは別扱いで驚いた。一年生に限らず、二、三年生から不満が出るのではと危惧したが、谷口先輩からの口添えがあったのか、特に困ることは起きなかった。初日の計測で百メートル十秒台を出した事も実力を示したことになったのかもしれないが。
 競技会を目前にした今は、走り込みとフォームのチェックを繰り返している。宇都木先生からは太鼓判を押されているが、自分ではどうにも落ち着かなかった。焦燥感に苛まれて訳もなくイライラした。大会前にたまに起こるのだが、こんなに激しいのは初めてだ。こうなるとひたすら走るしか気を散らす方法はなかった。無駄に身体を酷使しないように言われているから、フォームを潤次に撮ってもらうのを口実に今日も走り続けている。
 スタート時とゴール時用に計十本ほど走ったところでマネージャーからストップがかかった。恐らく谷口先輩の指示だろう。あの人は直接は指導しない。部内ではカリスマ的存在だが、いつも一選手としてのスタンスを取りたがる。だから彼は部長ではなく副部長だった。
「あまり根を詰めるのはよくないよ。もう十分だろう?」
 マネージャーはタオルとレモンの入った容器を差し出しながら言った。休憩を取れとのことらしい。
 潤次が「僕の腕を信じろよ」と笑いながらカメラを指差した。タオルだけ受け取って礼を言うと、潤次と体育館脇のベンチへ向った。
「随分、熱が入っているね。みんな太鼓判を押しているのに、何がそんなに心配なの?」
 潤次は、いつも直球で聞いてくる。内心ぎくりとしたが、空咳をして何でもない事のように返事をした。
「太鼓判なんて、何の役にも立たない。走るときはいつだって不安だよ」
「そう? でもいつもより余裕がない感じだよ。中学のときと緊張感が違うからだと思っていたけど、違うよね。どうしたの?」
「違わないよ。だた単に緊張してるだけだよ。中学のなんて比べ物にならないくらい規模が大きいし、選手のレベルも違う。勝負はその場にならないと分からないから、出来るだけの事をしておきたいだけだよ。そんなに…いつもと違うかな…」
 隠しているつもりでも、心の葛藤が外に出してしまっているのが情けなかった。潤次は俺の顔を見ていたが、カメラに目を落とすとフィルムを巻き戻しながら言った。
「他の人には分からないかも。でも僕にはそう見える。上手く言えないけど、焦りというか、不安定な感じ。それ、走りに出るよね? たぶん、谷口さんやマネージャーさんは分かってるんじゃないかな。タイムに心配がないなら、後は気持ちの問題でしょう? 今はフォームを見るより、その焦りの原因を取り除くのが先決なんじゃない?」
 幼馴染みはときに厄介だ。隠しておきたいことも遠慮なく暴かれる気がする。走っても走っても拭えない焦りの理由——話してしまえば楽になるのかもしれない。潤次に見詰められると何もかもぶちまけたくなるが、既での所で俺のプライドが頭を擡げた。言ってしまったら、駄目になる。
 潤次は俺が返事をするのをしばらく待っていたが、むっつりと押し黙ったままの俺に、もう何も聞き出せないと分かると小さくため息をついて話題を変えた。
「そう言えば、佐々木の試合の日にちが決まったって…」
『佐々木』の名前に反応して勢いよく振り向いた俺に、潤次は一瞬目を見張ったが、すぐに笑いながら続きを話した。
「今度の金曜日だってさ。顧問の松崎先生がお休みなんだって」
「誰に聞いた?」
 運動部の連中は剣道部の動向を眺めていたが、余程きつく口止めされているのか情報は流れてこなかった。飛び交っていたのは憶測だけで、はっきりした日時は分からなかった。勿論、佐々木に聞けば分かることだが、美術の授業以来、面と向かっては訊きづらかった。
「相葉だよ」
「あいつか…」
 思わずこめかみを押さえた。さすがと言うべきか呆れるというべきか、相葉の物見高さには感心する。どうやって聞き出したかは知らないが、先日も剣道部の連中に聞いたと行っていたから確かな情報だろう。これで大風呂敷でなければ、まだ相手に出来るのだけど。
「でも相葉のこと、ちょっと見直したよ。最初は時間と場所は教えてくれなかったから」
 そう言って潤次はおかしそうに笑った。
「教えてくれなかったって、あの相葉が?」
 こちらが聞きたくなくても話してしまう、あの相葉が?
「時間と場所まで教えちゃったら、ギャラリーが増えちゃうから駄目だって。ある程度は剣道部の連中も覚悟しているみたいだけど、あまりすごいと後で松崎先生にばれちゃうかもしれないしね。剣道部の友だちに聞いたそうだから彼の立場が悪くなるのは、さすがの相葉もまずいと思っているみたい。案外まともな奴なんだね」
「でも、訊き出したんだろ?」
「うん。すごいね、相葉の情報が一番早いね。すごいな、教えて欲しいなぁ〜ってお願いしたら、あっさり教えてくれたよ」
 手のひらを顔の前で祈るように組んで、小首を傾げてその時の様子を再現する潤次にため息が出た。いつもは小馬鹿にした態度を取る潤次が、こんな風にかわいらしく相葉にお願いしたのだから、一も二もなく教えたことだろう。
 潤次は昔から人から話を訊き出すのが上手かった。清廉潔白そうな顔をして結構な策略家だ。だから話したくない時は、さっきみたいにかなり強い意志を持って拒絶しないと勝てない。相葉も潤次と同じ才能があるのかもしれないが、好奇心だけの相葉は潤次には勝てないだろう。
「新聞記者にでもなればいいのに」
 俺が思わず呟いた言葉を聞き逃さなかった潤次が眉間に皺を寄せた。
「新聞記者なんて “ ろくでなし ” のなるもの、なんじゃなかったの?」
 出てきた言葉に心臓が跳ねて息を呑んだ。いつにもない強い口調と同じ厳しい顔がこちらを見ていた。ごめんと反射的に口に出た。
 潤次もすぐに後悔の色を浮かべた瞳を伏せて首を振ると
「明日の朝にはベタ焼き見せられるから、待ってて」そう言って帰って行った。
『新聞記者なんてろくでなしのなるもの』それは俺の口癖だった。潤次がなりたいと憧れて、そして失望した職業。潤次の中にも暗い穴がある。それは俺のとは質が違うけれど、どちらも深くて底が見えなかった。
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by apodeco | 2007-09-01 01:46 | 学ラン通信 | Comments(0)