紫雲、棚引けば—庚申塚高校物語— その11

a0095010_21531062.jpg今週末は連休ですので前倒しで更新します。
先週、高校の生物部OB会より懇親会の案内がきまして、残念ながら欠席のお返事を出しましたが、そのハガキのアンケートに「何か生き物を飼育していますか?」という項目がありました。鳥や猫などに混じって、ゴキブリ以外の身近な生物というのがあり、目が点に。研究所で飼育しているゴキブリは清潔だそうですが、昆虫の中でも身近にいて欲しくない生き物ですよね。
以前人間観察の話を書きましたが、生き物は全て見ていて飽きないです。実は上記のゴキブリも…、ね。
 夜、台所を掃除していた母に呼び止められ「な〜に〜?」と近づくとシンクにゴキブリが!
「ひっ!」と息を呑むと母が人差し指を立ててシーッと合図します。え?と思いながらよく見ると、踊ってるんですよ〜。
大きめのシンクと少し小さめのシンクが並んでいるのですが、その境目をまるで花道のようにして2匹のゴキブリが行きつ戻りつしているのです。求愛ダンスなのでしょうか? 羽をコオロギが鳴くようにぱたぱた立てて踊っている様は何だか楽しそうです。
気持ち悪さ半分、可笑しさ半分で「踊っているね」と言うと、「うん、踊っているね」と答えた母の手には、しゅんしゅん音を立てたやかんが…。
幸せの絶頂で2匹は天国へ。「ジ・エンド」と言った母を見ながら私の頭の中には『世界残酷物語』のテーマ曲が流れたのでした。

この後に岡田くんの話、というのも何ですが、シリアスも続くと飽きますね。おまけに引っ張ります(笑)。気長にお付き合いください。では、↓よりどうぞ!
※この物語はフィクションです。実在の人物・事件・団体等、一切関係ありません。



[岡田克巳の場合(5)]

 第二校舎の屋上は異様な空気に包まれていた。入り口を剣道部員が固めて出入りする生徒をチェックしている。まるでコンサート会場の係員のようだ。続々と観戦者が増えていく。
 金曜日、午後四時。これから佐々木の試合が行われる。屋上を選んだ理由は、入り口が二つしかないからギャラリーを制限出来るのと、正門に近いこちらの校舎は校庭から離れた位置にあって騒ぎに気づかれにくいからだそうだ。第一校舎と平行して建っているからそちら側から見ようと思えば見られるが、ご丁寧にもどこからかベニヤ板を調達してきて目隠しまで作ってあった。
 佐々木の口添えで俺と薫と潤次の三人は屋上に入れたが、他に入れたのは各運動部の部長、副部長の二名までと決められて、文化部の連中は一切排除されていた。それでも総勢二十数名とかなりの人数になった。陸上部の部長福留先輩と、こういったことに興味のなさそうな谷口先輩の姿まであった。
 賭け試合の噂が先行しているとはいえ、唯の一年坊主の試合にこれだけの人が集まるのだから、佐々木は全校生徒の注目を集めていると言っても過言ではないだろう。
 面と小手以外の防具を付けた状態で佐々木は地面に正座していた。こいつの袴姿を初めて見るが、逆三角形の広い肩幅に紺色の剣道着をきっちり着込んだ姿は勇ましく、普段より男振りが上がって俺でも見惚れるくらいだった。女子をほとんど入れなかった剣道部の判断は正解だ。入れてたらうるさくて試合にならないかもしれない。
 佐々木は幾分顔色が悪く見えたが落ち着いた様子だった。集中力を逸らしてはいけないだろうと、俺と潤次は側に寄りたがった薫を捕まえて、離れた位置から眺めていた。
 屋上の地面に書かれた境界線の外をぐるりと観衆に囲まれた中、佐々木が藤堂先輩に呼ばれた。チョークで書かれた開始線の手前に立つ藤堂先輩の前まで行くと、主審を勤めるらしい副部長の唐沢先輩が喋りだした。
「これから、この試合の趣旨とルールについて説明します。観戦の方々もよく聞いてください。これは本来、剣道ではあってはならない “ 賭け試合 ” です。ここにいる一年生、佐々木くんの入部を賭けて試合を行います。因って、ここでの結果ならびに試合のあったこと自体、他言無用に願います」
 浪々と説明する唐沢先輩も俺たちの中学の先輩だ。中学時代からずっと藤堂先輩に付き従っている。あのエキセントリックな先輩に代わって広報や調整を行う剣道部の陰の権力者だが、彼自身が藤堂先輩の熱烈なシンパだから成り立っているのだろう。一見、運動そのものと縁がないような細身の身体に、切れ長の目をした日本的な顔立ちの人だ。知的で所作の綺麗な人だったから女子にも人気があったが、藤堂先輩同様、騒がれるのを嫌っていたから、この二人の側にいるのはいつも男ばかりだった。
「いつも思うけど、藤堂さんって、アニメのルパン三世に出てくる石川五右衛門に似ているよね」
 薫が小声でぽつりと呟いた。潤次が慌てて薫の口を押さえたが、しっかり聞こえていたようだ。ギロッと音がしそうな眼力で藤堂先輩がこちらを睨んだ。俺は思わず薫を背後に隠すよう前に出た。睨まれても仕方ないけど誰もがみんなそう思っている。陰の渾名は丸刈りの『石川五右衛門』。
「それから、試合中の掛け声は謹んでください。声を出すなとは言えませんが、出来る限り拍手のみで」
 にっこりと怖いくらいの笑顔を見せながら唐沢先輩は説明を続けた。背後で潤次が薫の頭をペチッと叩いた音がした。
「藤堂は白、佐々木は赤です。試合は三本勝負。制限時間内に二本先取した方が勝ちです。勝敗の着かない場合は延長します。主審は私、唐沢。副審は岩間と大橋。我々剣道部のみの審判ですので、公正を期すために、この試合に限り選手からの異議を認めます。この場合も我々三人の合議とします。時計係は…」
 唐沢先輩の説明を聞きながら、佐々木と藤堂先輩はお互いを見詰めたまま動かなかった。二人とも無表情で静かだったが、既に二人の間では試合が始まっているようだった。
「佐々木、大丈夫かな…」
 薫が聞き取れないほど小さな声で呟いた。眉根を寄せた心配そうな横顔に、あの夕方の記憶が蘇って心が細波立った。
 あの日、ゲラゲラ笑いだしたかと思うと沈んだまま何も喋らない俺の腕をひっぱりながら、薫は家までの帰り道を一人で喋り続けた。商店街を抜けて細い家並みを進むと、風に混じって夕餉の匂いが漂ってきた。どんなに落ち込んでも腹は減るんだなと、人ごとのように可笑しくなった。
 中学に進学したころから極力自分の感情を表に出さないように勤めてきたから、最近では滅多に精神不安定な状態を見せることはなくなったが、八歳の出来事の前後には感情がころころと定まらず、笑ったかと思うと急に黙りこくって不機嫌になるということが多々あった。
 家で何があったか知らない薫と潤次はかなり戸惑ったようだが、不機嫌の原因が自分たちにないことを理解すると、潤次は何も言わずにほうっておく方法を、薫は俺の返事を聞かないまま喋るという方法で俺と付き合ってくれた。
 家族の話をしたがらないのを二人は知っているから、家で何かあったのだろうと想像するのは容易かったようだ。気まずい沈黙が苦手な薫は、学校でのことやテレビのことなど俺自身の話題以外思いつく限り次々と話したが、薫の柔らかい音楽のような声音には不思議と効果があって、ごくごく普通の取り留めのないお喋りを聞いているうちに気持ちが凪のように静まった。
 久しぶりに見た俺の感情の暴走に、戸惑いながらも薫は子どもの頃のように一人で喋り続けてくれた。その殆どは佐々木のことだったけれど。
「佐々木ね、本当は入りたいクラブがあるんだって。家の人が反対するだろうから諦めていたらしい。高校のクラブなのにね。反対される理由は教えて貰えなかったけど、余程の理由があるみたい。でも、もし今度の剣道の試合に勝てたら、家の人に頼んでみるって」
 家の人に頼んで許して貰うようなクラブなんて、うちの高校にあったろうか? 俺の腕をひっぱりながら前を歩く薫の頭を見ながらぼんやり考えた。怪我をするといえば、運動系のクラブはどれも当てはまるけれど、一体、佐々木は何のクラブに入りたいのだろう。俺の疑問を汲んだように薫は続けた。
「いくら訊いてもね、教えてくれないんだよ。試合に負けたら諦めなきゃならないから、教えたくないなって、恥ずかしそうに言われちゃったら、訊けないよね」
 声が不満そうだ。教えて貰えなかったのがショックだったのだろうか。
「でもね、佐々木のことは全部知りたいんだよ。自分でもおかしいかなと思うけど。潤次がね、佐々木はやりたいことがあるみたいだよって言ったんだ。もしかしたら佐々木は、潤次には入りたいクラブのことも、反対される理由も話してるかもって思ったら、なんかさ…」
 ため息をついて薫はがっくりと頭を垂れた。
 それって、どう聞いても潤次に対する嫉妬だろう。薫が俺たち以外でここまで他人に執心したことはない。珍しいなと驚きながらも分かる気がする。誰からも好かれる穏やかで優れた資質。きっと親からの信頼も厚いだろう。もしも俺が佐々木のような人間だったら…。あり得ない虚しい想像をしては打ち消した。羨望と嫉妬。心の中はドロドロだ。なのに、あいつから目を離せないでいる。
 薫の場合は何だろう。もし薫が女の子だったら恋しているみたいな言い分だけど。
 恋ね…。確かに、恋もするかもしれない。悔しいけれど佐々木は魅力がある。こんなにも羨みながら、いつも彼を目で追っている自分がいる。もっと知りたい、近づきたいと思ってしまう。俺は自分の考えに自分自身で驚いて、思わず笑ってしまった。
「笑わないでよ!」
 自分のことを笑われたと思ったのか、真っ赤になって振り返った。
「仕方ないよ、潤次に訊かれたら誰だって白状するさ。白状しないのは、俺と薫くらいだろ」
 薫は普通に話している俺を見て、少しホッとした顔をした。
「そうだけど、ちょっと悔しいんだもの。佐々木とは何でも話し合えるようになりたい。僕らみたいにね」
 その言葉は胸に痛かった。ごめん、薫。ごめん、潤次。幼馴染みでも、どんなに大切な親友でも、言えないことは、やっぱりあるよ。全てを打ち明けてしまったら、俺はきっと自分の足で立っていられなくなる。
 自分ではどんな顔をしていたのか分からないが、薫は慌てて前を向くと小さな声で言った。
「佐々木、勝てるといいね。僕は、克巳と佐々木が『本当にやりかたいこと』が出来る手助けがしたいんだよ」
 そう言って俺の腕を掴む手に力を込めた。その後は無言のまま家まで歩き続けた。

「以上、説明を終わります。それでは、両者、準備をしてください。試合を開始します」
 唐沢先輩が宣告を終えた。いよいよ試合が始まる。
 佐々木と藤堂先輩は境界線の外へ出ると残りの防具を付けた。佐々木は面を着ける前にこちらを一瞥した。その表情に変化はなかったけれど、口の端が少し上がって薄く笑っているように見えた。
『頑張れ、佐々木』俺は胸の中で呟いた。
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by apodeco | 2007-09-20 23:11 | 学ラン通信