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紫雲、棚引けば—庚申塚高校物語— その12

紫雲、棚引けば—庚申塚高校物語— その12_a0095010_111446.jpg9月最後の更新に「岡田克巳の場合」の最終回を持ってこられました。長かったです。ねちっこく書かせていただきました。
もうそろそろ、ブログでは辛い状態になって来ています。内容的にもHPを立ち上げるべきかと検討していますが、いろんな事をやりすぎて、管理が出来るか分かりません。手が回らない感じです(笑)。
来年までは、このまま頑張ろうかと思います。
次は「朝比奈潤次の場合」になりますが、年末に開始できればな…、という予定です。その前に夏〜秋の短い話を書きたいのと、少しイラストを頑張ろうかなと思っていますので。
最近、お話を書くことに夢中になってしまって、本来のイラストを描くことが疎かになっています。描きたいな〜とは常に思っているのですがね。
何でも身構えると進まなくなってしまうのです。趣味でやっていることだから気楽に考えればいいじゃないかと思いながら、やるからにはやっぱり納得のいくものを…とこねくり回してしまったり…。生みの苦しみなんて言えば格好いいですが、単に才能がないだけです(笑)。

何はともあれ、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
それでは、↓よりどうぞ。
※この物語はフィクションです。実在の人物・事件・団体等、一切関係ありません。




[岡田克巳の場合(6)]

「始め!」
 主審の合図とともに立ち上がった両者から気合いの掛け声が上がる。ほぼ互角の体格だと思っていたが、佐々木の方が少しだけ背が高い。剣道も体格が良い方が有利に試合を運べるが、佐々木の実力は未知数だ。藤堂先輩はじりじりと間合いを詰めてくる。竹刀の先端をかつん、かつんと触れ合わせながら相手の動きを読む。
 先手に出たのは藤堂先輩だった。面を打ち込んだが佐々木はするりと後ろへ避けた。赤い襷を付けた佐々木の背中が直ぐに体勢を整える。連打する藤堂先輩の速い攻撃をよく読んで、右へ左へとかわす動きは機敏だった。
 屋上の地面の上を素足で動くのはきついだろうし、足さばきにも影響がでると思うが、両者ともに板張りの上となんら変わらない動きを見せた。俺は剣道は素人だけれど、多分、佐々木は強い。あの藤堂先輩の打突が一つも有効にならない。普通の相手なら既に一本取っていてもおかしくない。
 だが、ついに均衡は崩れた。鍔迫り合いの膠着状態から払った竹刀を佐々木が構えなおした直後、藤堂先輩は小手から続けて面を打ち込んだ。
「面あり!」
 審判が三人とも白い旗を上げる。観衆からどよめきと同時に拍手が上がった。固唾をのんで見守っていた俺たちは、まるで今初めて呼吸をした人のように詰めていた息を吐き出した。心臓の鼓動が速い。自分の陸上の試合でもこんなに緊張しないかもしれない。
 薫は握りしめた右手を胸に当てたまま、じっと佐々木を見詰めていた。酷く緊張すると必ずとる姿勢だ。俺は薫の肩を軽く叩いた。はっとして見上げた瞳が潤んでいた。
「大丈夫、まだ時間はある」
 俺の言葉にぎこちなく頷くと、また佐々木を見詰めた。
 両者は開始線に戻り中段の構えで待つ。合図とともに先制攻撃に出たのは佐々木だった。腹に響くような気合いの声を上げると面を打ち込んだ。藤堂先輩が僅かにかわし、すぐさま胴を打つ。互いに連打の応酬になった。藤堂先輩が面を打ち込んだとき、佐々木は左足を後ろへ引いてかわすと、その後ろ足を蹴るように前へ出た。叫び声とともに小手を打つ。審判の赤い旗が上がった。
 薫が歓声を上げると一斉に拍手が鳴った。これで振り出しに戻ったが、時間はもう残り少ない。次の勝負で決まるか延長になるか。
 三本目はまた膠着状態になった。お互い交刃の間のまま睨みあっている。よくこれだけ気力が持つものだと感心する。最早誰もが互角の勝負だと分かっている。隙を見せた方が負けるのだ。並大抵の集中力ではないだろう。観衆は誰一人動かずに、二人の動きを目で追っていた。佐々木の竹刀がすっと僅かに下にさがった時だった。
「お前たち、何してるんだー!」
 怒声とともに直ぐ近くの入り口が大きく開いて宇都木先生が飛び込んでくるのと、佐々木が動いたのは同時だった。
「突きー!」
 一際大きな声とともに佐々木が大きく前進すると、赤い旗が二本上がった。
「突きあり!」
 一瞬の出来事だった。
 佐々木の竹刀の切っ先が見事にのど元を突いていた。藤堂先輩らしくなく、まともに食らって上体が大きく仰け反った。皆、呆気にとられて声も出なかった。
「やった! 佐々木が勝った!」と薫が声を上げたとき、主審も緩やかに赤い旗を上げた。
 観衆から一斉に拍手が沸き起こった。皆口々に佐々木の名を呼んでいる。宇都木先生が我に返ったようにまた大声を上げた。
「こらっ藤堂! この騒ぎはなんだ! 一体何の真似だ」
「先生、待ってよ。騒動の経緯は剣道部が後できちんと説明すると思うからさ。試合終わらせてやってよ」
 猛烈な勢いで境界線の中に踏み込もうとする宇都木先生の袖を引っ張って、バスケット部部長の山田さんがやんわりと制止した。観衆の視線が一斉に集中すると、さすがに宇都木先生も躊躇したのか、茫然と立ちつくしている藤堂先輩を見やった。
 藤堂先輩は徐に唐沢先輩の方を向くと「今のは有効か?」と聞いた。
「有効です。先生が入って来たのと佐々木の打突は同時でしたから」
 藤堂先輩は「分かった」と静かに頷いた。
 主審の「試合終了」の合図で終了の礼法が済むと、藤堂先輩は宇都木先生に、体育準備室へ説明に行くからここは引き取って欲しいと頭を下げた。宇都木先生は当事者は全員くるように言ったが、藤堂先輩が頑として自分がみんなを巻き込んだと一歩も引かなかったので、最後は譲歩して屋上から出て行った。
 佐々木は二人の遣り取りを見守っていたが、先生が去るとやっと人心地ついた様子で面を外した。したたり落ちる汗を外した手拭いでぬぐうと、待ちかねたように薫が腕に飛びついた。
「おめでとう! 佐々木〜、すごいよ!」
 奇声に近い大声で薫が叫ぶと佐々木はその勢いに目を丸くしたが、すぐに満面の笑みを浮かべ両腕で薫の腰を抱え上げると、笑いながら勢いよくぐるぐると回りはじめた。今度は薫が目を丸くして佐々木の首にしがみつく格好になった。真っ赤になって声を上げたが、佐々木のはしゃぎ振りに釣られて一緒に笑い出した。周り中から拍手と歓声が上がる。
 よほど嬉しいのだろう。その笑顔はいつも涼しい顔で落ち着いた印象の佐々木を、十六歳の年相応の少年に見せた。いつもなら妙なライバル心を掻き立てられる俺も、奴の喜びようを見て素直に祝福する気持ちが広がった。各クラブの連中が口々に佐々木の栄誉を称えた。
 沸き立つ騒ぎを鎮めたのは藤堂先輩だった。「佐々木!」と声をかけると唐沢先輩以下剣道部員を後ろへ従えて歩み寄ってきた。さっと空気が張り詰める。佐々木は薫を降ろすと緊張した面持ちで藤堂先輩に向き直った。
「済まなかったな、佐々木。残念だが、入部の件は潔く諦める。だが、また手合わせしたい。ついてはお前の通っている道場を教えてくれないか」
藤堂先輩の言葉に、一瞬躊躇した佐々木だったが、
「分かりました。後日案内をお持ちします。また手合わせお願い致します。本日はありがとうございました」と言って頭を下げた。
 藤堂先輩たちが消えると、潮が引くように観衆も引き上げて行った。佐々木も薫ると更衣室へ消えた。俺は屋上に残り、手すりに凭れながら残った剣道部の一年生が目隠しのベニヤを片付けるのを眺めていた。目を瞑ると、佐々木の掛け声と「突き」を決めた瞬間の姿が浮かんでくる。俺の鼓動は速いままだ。
 信じられない。すごく感動したんだ。足元からぞくぞくする感覚が止まらない。
「やっちまったな…あいつ」
 ため息とともに独り言を呟くと、さっきから姿が見えなくなっていた潤次が俺の横に立って、にやにやしながら「そうだね」と相づちを打った。
「何してた?」
 独り言を聞かれた照れ隠しに慌てて聞くと、手のひらに隠れる程小さなコンパクトカメラを見せた。
「他言無用は撮影も無用ってね。でも撮りたいじゃない。あそこから撮ってたんだ。まあね、このカメラじゃ上がりは期待できないけど。でも大橋と唐沢先輩はばっちりだよ。高く売れそう〜」
 潤次は佐々木の笑顔とは質の違う、含みのある綺麗な笑みを見せた。屋上入口の屋根の上で這いつくばって試合の様子を撮影していたらしい。制服が白く汚れているのも気にならないくらい満足な出来だったようだ。潤次はこうして小遣いを貯めている。「写真は金が掛かる」が口癖だ。
 副審を務めた大橋は俺たちと同じ一年生で、地理の大橋先生の娘だ。彼女も佐々木に負けず劣らず有名人だが、それは彼女の外見のせいだった。気の毒と言うべきか大橋先生にそっくりで、これがかなりの男前なのだ。本人もよく自覚していて、いつもジーパンにブレザーという姿で登校している。スカート姿は入学式以来見ていない。佐々木が入学式で彼女を見ていたら、スカート姿にも関わらず男と間違えて殴られていたのではないだろうか。
 剣道も有段者でかなりの実力の持ち主だと聞いているが、副審を務めたことが彼女の剣道部での地位を物語っている。黒い胴着袴姿の彼女は文句なく格好よく、そんな大橋のブロマイドはさぞ高値で売れることだろう。抜け目のない潤次に呆れながら、ふいに薫の言った事を思い出した。
「お前、佐々木のやりたい事って何なのか知ってるの?」
「ん〜? 何それ?」
「薫に佐々木はやりたい事があるみたいだって言ったんだろ?」
「ああ、そのこと。薫、何か言ってた?」
「佐々木はお前になら何でも話しているのかなって、落ち込んでたぞ」
「それは誤解させちゃったね。僕が訊いたのは…、薫に教えてもいいけど、まあ本人が話すかな? 僕が聞いたのは『どうしてこの学校に来たのか』ってことさ。薫と佐々木が口をきかなかったときに訊いたんだ。そうしたら『自分から動かなければ何も出来ないところへ来たかった』んだって。それだけだよ、僕が知っているのは」
「どういう意味だろう?」
 本当は何となく分かる、佐々木の思っていること。
「推測だけど、今までの佐々木の行動を見ていると『自分を変えたい』ってことじゃない? あんなに何でも揃って見えるからどこを変えたいのかと思うし、他人には分からない悩みだよね。彼のやっていることが、その悩みを解決出来るのか分からないけど、でも確実に努力しているよね。薫とのことも彼から声を掛けてくれたし、今度のことも成り行きとはいえ売られた喧嘩を堂々受けて立って、立派にうち負かしたじゃない。例え藤堂先輩のことを知らないにしても、あの人を目の前にして逃げなかったのは凄いと思うよ。佐々木は見かけよりも単純で、馬鹿が付く程真面目で、特に何も難しい事は考えてないのかもね。でもそこが、彼の魅力なんだと思う。単純だけど、真正面から誠実に物事に向き合う。何かを変えようと思ったら、自分から動かなければいけないんだと、僕も佐々木を見て思ったよ」
 潤次の言葉を聞きながら考えた。俺は今まで変わる努力をしてきただろうか。
 親に好かれたいと望み、その方法を考えて努力をしてきたつもりだけれど、何処かで自分が変わっても周りは変わらないと最初から諦めていたから、直接的な働き掛けはしてこなかった。
 俺にとって “ 走ること ” は変える努力だったけど、その結果をもって、親に直接ぶつかっていった事は唯の一度もなかった。勝手に諦めて、失望して、途中から自己満足にすり換えてしまった。だから走ることが虚しかった。自分からゴールをなくしておいて、終わらない道のりにばててしまったんだ。それなのに走ることを止めてしまったら、俺は俺でなくなる、そんな強迫観念に駆り立てられてただ走り続けてきた。
“ 走ること ” は好きだった。いや、今も好きだ。でも、ただ走るだけじゃ駄目だ。その先に働きかけるものを持たないと俺の走る意味がない。
『変わらないなら、変えさせる』
 そうだよな、佐々木。
 具体的にどうするのか自分でも分かっていないし、いきなりぶつかっていっても何の反応も返されず傷つくかもしれないけれど、今より酷くなる事はないだろう。
 逃げないで、やってみようか…。俺自身を見てもらうために。俺が俺でいるために。
 俺は隣の潤次を眺めた。カメラからフィルムを取り出すと、ケースに入れて大事そうにポケットに仕舞った。カメラを触っているときはいつも薄っすら微笑んでいて、幸せそうに見える。好きな事をしているときは誰でもそうなのだろうか。
「潤次」
「うん?」
「俺、走るよ。もう大丈夫。俺は走れる」
 自分でも不思議なくらい気持ちが晴れていた。胸に支えていた固まりが消えて、楽に息が出来る気がした。後から後から走りたいという思いが溢れてくる。もう、走っている姿が辛そうなんて、無様な姿は曝さない。
「そう? 良かった」そう言って、潤次は慈愛に満ちた優しい目をして微笑んだ。
 夕暮れの風は気持ちよくて、そのまま二人で暫く風に吹かれていた。
by apodeco | 2007-09-29 02:19 | 学ラン通信